何故「北の道」?

CaminodelNorte2024

三度目の巡礼のチャンスをいただきました。

誰から?

きっと神様から。

そうでなければ三度も歩くという贅沢はできなかったはずです。

「北の道」と決めるまで巡礼路を様々考えてみました。ポルトガルの道にもいくつかのルートがあり、またスペイン国内の南から北上するルートもたくさんあります。

それでも「北の道」を選んだのにはいくつか理由があります。

一つ目は、ずっとスペイン国内を歩きたいと思ったこと。

二つ目はフランス人の道をはじめ、多くの道は内陸部を歩きますが、スペインで唯一海沿いを歩く道が「北の道」であること。

三つ目は風光明媚で名高いルートであること。

四つ目は「北の道」はバスク州、カンタブリア州、アストゥリアス州そしてガリシア州と4つの州を横断し、それぞれの違いを楽しめそうだったため。

五つ目は銀の道やモサラベの道などは山岳地帯や砂漠など、険しい道が続き歩き通せる自信がなかったこと。 などがあります。

しかし、選んだ最大の理由は直観です。どうしても「北の道」を歩いてみたいという、強く惹きつけられるものがあったからです。

風光明媚といっても、フランス人の道とほぼ並行する東から西への道です。どのような違いがあるのか、ないのかは歩いてみないと分からない、と思いながらの出発でした。

フランスのBayonneから歩くことも考えましたが、今回はピリネー山脈を越えることもなく、平坦な道を歩くようでしたので、ここは省略してスペイン国内から始めることにしました。

国境の町Irúnから出発です。Irúnにある公営のアルベルゲで巡礼証明書に最初のスタンプを押して歩き始めました。

今回は、フランス人の道の巡礼で知り合ったポルトガル人のIsabelとIrúnで落ち合い、一緒に歩くことになりました。

「北の道」はフランス人の道の迂回ルートとしてできたと聞きました。山の中を行くフランス人の道に山賊・盗賊が頻繁に出て巡礼者が襲われたため、北へ逃れていったという事でした。

実際に海に面したルートは開放的で明るく、活気がありました。

多くを歩いたわけではありませんが、フランス人の道は日本でいうなら熊野古道に近いかもしれません。一方、北の道を例える日本の道は思い浮かびませんが、それぞれの街はかつて北前船で栄えた街、もしくは江戸時代に賑わった港町、境のように感じました。

門も立派なお屋敷です
往時の繁栄を偲ばせます

Santiago de Compostelaまで歩いてみた結果は、フランス人の道とは景色も文化も、通過する村々の様子も全く違う道でした。

選んで良かった。知らなかったスペインの新たな顔を少しだけ見ることができた巡礼の旅でした。

それぞれのエピソードは少しずつエッセイで記していきたいと思います。

サンティアゴ巡礼路のイラストマップ。毎日眺めては空想の旅をしています