「北の道」巡礼路ではバスク州、カンタブリア州に続いてアストゥリアス州を通ります。アストゥリアス州を三分の一ほど歩いたところにVillaviciosaという街があります。
リンゴの産地として知られています。日本でいうなら青森県の弘前といったところでしょうか。私が通過した時には既に収穫期は終わっており、リンゴ畑の木々には葉だけが茂っていました。
Villaviciosaの中央広場には立派な市庁舎があり、そこにはリンゴのオブジェも飾られています。レストランではリンゴのお酒のシードル(sidra)がメニューの一番上にあり、お菓子屋さんにはアップルパイにアップルタルトとスイーツ好きには”連泊したい街”です。




ただし、気になるのは街の名前です。Vicioは悪い事の意味で、実際に辞書で調べてみると、
vicioso,sa 悪癖に染まった、悪習の;不道徳な、身持ちの悪い、不純な、誤りのある、欠点のある、(小学館 西和中辞典より一部抜粋)
どれも良い意味には取れません。 Villaviciosaは悪徳の街? 不道徳の街? とても気になります。
この日、家族に「リンゴの街、Villaviciosaでアップルタルトを食べました」と写真を送ると、言語学を専攻した姉から早速コメントが寄せられました。「何故Villaviciosaなの?過去に暗い歴史のある街?」と。
気になりつつも、翌日は早朝から歩き、15km以上何も無く、くたくたになったところで奇跡のように1件のバルに辿り着きました。そこで休憩していると、サイクリングを楽しむ一団が到着し、賑やかにビールを飲みながら年配の店主と話しています。その内容から、ここの店主も若かりし頃にはサイクリングを楽しんでいた地元の人というのが分かりました。どうりでバルの壁には地図が貼ってあり、いろいろなルートに印が付いています。
これはチャンスかもしれない!と思い、手が空いたのを見計らって、
「ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど…」と切り出しました。
「昨日はVillaviciosaに泊ったのだけれど、どうしてVillaviciosaなの?何がvicioなの?何か暗い過去がある街なの?」
「よくぞ聞いてくれたね!そう、よく”悪い事”があった街と勘違いされるんだけど、全然違うんだよ。これには歴史があるんだ」と語ってくれました。
15世紀、当時17歳のカルロス1世 (=カール5世)が初めてスペイン北部を歴訪することになりました。この地の領主が案内役を務めることになりましたが、出迎えるために港町まで来る途中で領主が急逝してしまいます。そのため、領主に変わる人を決め、改めて準備が整うまでカルロス1世とその一行はこの街で待たされることになりました。王の一行なので、人も物もふんだんに持参していたそうです。そして滞在が長引くほどに町は豊かになっていきました。最終的に王が立ち去った後も街にはふんだんに物と豊かさが残ったと言われています。
Vicioとは昔の言葉で植物が茂る、という意味があり上記の辞書にも確かに書いてあります。
何も無かった街から豊かな物があふれる街へ、という意味でVillaviciosaと名付けられたそうです。
「時々その質問を受けるんだ。vicioは古い言葉で、今ではこの言葉を豊かと解釈することが殆どなくなったからね。聞いてもらえて良かったよ」とにこやかに話してくれました。
15世紀であれば、通信は手紙、移動は徒歩か馬、何をするにも人の手を介さなければならず、「少しお待ちください」は1ヵ月?2ヵ月?半年?またはそれ以上だったのでしょうか。
何もない街が豊かになるだけの期間であったことが想像できます。
街を通り過ぎてから知ったのはちょっと残念でしたが、街の名前にも歴史ありを実感したVillaviciosaでした。
これから通る方がいらっしゃれば、シードルを飲みながら、または美味しいリンゴタルトを食べながら是非当時を想像してみてください。


その名もヴィジャヴィシオサ・タルト






かつてサイクリストだった店主が走ったルートの地図と当時の写真が飾ってあります
