ミヤジマさん

Essay

ガリシア州に入ると毎日雨が降っていた。風景も周囲の植生もすっかり変わった。この地方はケルトの影響が残っており、オレオと呼ばれる高床式の蔵が至る所にあるのは湿度の高い地方の生活の知恵だろう。
森の中を歩けば鬱蒼と蔦がからまる木々が茂っていたり、苔むした岩があったり、様々なきのこがあちらこちらに生えている。これまでの乾燥地帯から一気に風土が変わったのを感じる。

巡礼の旅も終盤になり、疲労も溜まっていたためか、毎日足が濡れるせいか、両足には再び水膨れができていた。軟弱者のにわかハイカーである私は踏ん張りが効かず、1日の距離を短くして休み休み歩くしかない。そのような訳で当初の予定を大幅に変更して1日の歩行距離を20km以下に刻んだ。

その時の写真の多くは雨具の上下をつけて疲れ切った顔をしており、また人生このかたこんな無残な足になったことはなく、珍しさもあってブヨブヨになった足の証拠写真も多く残っている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへはシャキッとして辿りつきたい。そう思い最後の行程の27.4kmを17.5kmと9.9kmに分けることにした。案の定、この頃になると雨が降る時間も量も増えていた。

相変わらずの天気の中、町を抜け、森を抜けて当日の宿についた。サルセーダという町にはアルベルゲが3件、ペンションが2件しかない。ペンションに辿り着き荷解きをした後、少し空が明るくなったので、近くのレストランに遅い昼食に出かけた。夕飯は宿のレストランで取ることになるので、昼間は別の所で食べておこうと思ったからだ。食事の間に嵐のような雨が降り、わずか2・3分の所だったが、あまりの激しさに風雨が収まるまでコーヒーを飲んで待っていた。

宿に戻って足の手当てをし、荷物を整理してから、あと2日をどう歩くかをシュミレーションしているうちに疲れて眠ってしまったらしい。気が付くと既に夜7時をまわっていた。昼食をタップリ食べたのでまだあまり空腹ではなかったけれど明日に備えて早く寝るためにも軽く食べておこうと階下のレストランに行った。

小さなレストランはそれなりに混んでいた。ふと見ると、入口から2つ目のテーブルに東洋人の男性が一人で座っている。韓国の人ではない。中国でもなさそう。どうみても日本人?

この時、空いていた席は入口の直ぐ横でその男性の前の席、またはその人の奥の席だ。ドアが開く度に雨風が入ってきそうだったので一番奥の席に座った。日本人と思われる人の背中を見るように座る席だ。

レストランのオーナーがメニューの説明に来てくれた。
「ウチのメニューはスペシャルなんだ。ガリシア地方の料理を取り揃えている。ソパ・ガジェーゴ(ガリシア風スープ)に始まって骨付きのトロトロ肉にキッシュ風の添え物もついている。是非、食べて欲しいね。」

遅い昼食からそんなに時間も経っていなかったけど、熱心に勧められたので断り難くなりスペシャルメニューにした。横ではスイス人らしき家族が賑やかに夕食をとっている。巨大なジョッキに入ったビールで記念写真を撮っては乾杯して盛り上がっている。

暫くして既に食後のコーヒーを注文していた私の前に座っていたその男性は巨大ジョッキで盛り上がる家族全員の写真を撮ってあげるために立ちあがった。

声をかけるのは今しかない、と思い、念のために英語で「Where are you from?」と聞いてみた。
「From Japan!」と返事が返ってきた。

「やはり、日本の方でしたか。」と言うと、
「あぁ~、日本人の方ですか?いや~、日本語で話すのは久しぶりだ。2ヵ月ぶりかなぁ。日本語忘れてなくてよかった~。」と満面の笑みで答えてくれた。
「ここの料理美味いよね~。そこに座ってもいい?」と山盛りポテト持て余し気味の私のお皿を見ながら「僕は全部食べちゃったよ」と楽しそう。第一印象は朗らかで豪快。

ミヤジマさんは2度目の巡礼。前回のパンデミック前にはフランス人の道を歩き、今回はポルトガル人の道を歩き、その後更にオビエドからプリミティボの道を歩きメリデと言う町でフランス人の道に合流しサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指していた。プリミティボの道では日本人に遇うことは無かったと話してくれた。

フランス人の道では私は若い日本人の男女4人に遇ったが、同世代の人と会ったのは初めてだった。(お会いした時には同世代だと思ったが、後日ミヤジマさんは大先輩であると判明した。大変失礼いたしました。)

ミヤジマさんの予定は、明日一気にサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩き切るというものだった。そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた後、1日休養してから更にフィステーレまで行かれるという。さすがに2回目の巡礼者は旅のスケールが大きい。

夕食の間中、久しぶりに日本語で楽しくお話しをして、「私は1日遅れで着くのでサンティアゴでまたお会いしましょう!」と言って別れた。
翌日の道中、2回お会いしたが、大きなバックパックに日本の竹笠を背負って颯爽と歩いていらした。

巡礼最後の日、大雨警報が出る中、私はラバコージャという最後の宿場から歩き始めた。途中で休憩したカフェにいる間中、外は土砂降りだったが、歩き始めると小やみになった。きっと神様がこの軟弱な巡礼者を哀れに思ってくださったのだろう。サンティアゴ・デ・コンポステーラの市街地に入ってからも長い道のりだったがアーチをくぐり階段を下りて、大聖堂前の広場に出るころには雨が上がって、少しだけ青空が覗いていた。

お昼のミサが終わるころに大聖堂前でお会いするはずだったが、途中から一緒に歩いていたスペイン人と大聖堂の中に入っていたためお会いすることはできなかった。大聖堂の中も、外の広場も巡礼を終えて高揚した多くの人々や観光客がいた。そもそも具体的な場所も決めずに会うのは難しかったのかもしれない。メールでご連絡するしかないかと、とても残念に思いながら、巡礼事務所に行って証明書を発行してもらい、予約していたペンションに向かった。

ペンションは賑わいのある区域から少し外れた所にあった。雨でしっとりと濡れた石畳の細い道を辿り路地に入る。中心地からは僅かな距離なのにもう人通りもない。スマホで位置を確認しながら更に道を曲がってふと前を見るとそこにミヤジマさんがこちらに向かって歩いていた。ばったり出会う、とはまさにこのことというお見本のような再会だった。

「あぁ~!無事に着いたんだね。巡礼の達成おめでとう。よく頑張ったね!えらいっ!」と初めてお会いした時と同じ満面の笑みで握手してくださった。大きな手で強く握手していただき、肩を叩いていただいたことで自分の中の達成感が現実のものとして感じられた。涙が出るほど嬉しかった、というかちょっとだけ涙が出た。巡礼を終えた者が味わう達成感や高揚感を分かち合えるというのはこんなにも幸せなことなのかと思った。

その晩、巡礼達成を祝してミヤジマさんとコンポステーラのバルでプルポ(タコ)やバカラオ(鱈)のコロッケなどのピンチョスを肴に祝杯をあげた。

ミヤジマさんは日本でも四国の巡礼を始め、様々な歩き旅やロングハイク、数々の山を登っているとてつもないバイタリティー溢れる巡礼者であり、ハイカーであり、登山者であることが分かった。巡礼中に出会った「別世界を見せてくれる人」の一人である。このような出会いがカミーノの醍醐味であり最大の魅力だと思う。

そしてミヤジマさんは予定通り、翌日にはフィニステーレに向けて更に歩き始めた。10月末には多くの巡礼宿が営業を終えるらしく、予定していた宿やバルが閉まっていて食事にも事欠くほど終盤はかなり大変だった、と帰国後に教えてくださった。それでもバックパックにバゲットを指して込んで歩き切った気力と体力は素晴らしいと思った。

帰国して日常にもどってからミヤジマさんからカミーノを歩いた“強者”の方々を紹介して頂いた。それぞれが驚くほどのストーリーと自分の世界を持つ面々だ。そしてミヤジマさんはお会いする度に、“次の計画”を楽しそうに聞かせてくださる。どの計画も私からみれば壮大で聞くだけでワクワクさせてくれる。

この巡礼で私は多くの人々と出会ったが、この大先輩の豪快で前向きな日々の姿勢は「私、もう還暦過ぎちゃったし、どうせ先は短いし…」という投げやりな考えと態度を大いに反省するきっかけになった。
好奇心を失わずチャレンジを続けることは人生を最後まで豊かにしてくれそうだ、と気付かせてくれた大恩人のミヤジマさん。

取りあえず行きたい所へ自分の足で歩いてみよう!足元にも及ばないけれどそんな目標ができた。そしてれからもミヤジマさんの壮大な、ワクワク計画を伺うのが楽しみでならない。