Traslatio

Essay

「あの者を捕えよ!」

古代ユダヤの統治者であったヘロデ・アグリッパ1世の命でヤコブは捕えられ斬首刑に処せられました。ヤコブは殉教した最初の使徒となりました。

刻まれた遺体を夜の闇に紛れて弟子たちが集めてハッファに運び、そこで船を見つけて運び出しました。この船は石の船だったとされています。

操舵も磁石も案内人もいないボートは流れに任せて進み、地中海を渡り大西洋岸、Ría de Arousaに到達します。その後、Ulla川に沿って遡りIria Flaviaの港に停泊。弟子のアタナシオとテオドロはローマのマイルストーンに船を係留しました。このマイルストーンの石柱(石=piedra→pedrón)こそが現在のPadrónの語源となったいます。

この地に着いたのが西暦44年と言われています。聖ヤコブの遺体はこの後内陸に向かって弟子たちによって移送されますが、遺体を乗せた牛車は先導もなく歩み続けました。そして牛たちが止まった所を埋葬場所と定め、墓を作りました。二人の弟子は生涯ヤコブ墓を守り、彼らも死後ヤコブの墓の傍らに埋葬されました。いつしか墓は木々に覆われ、人々から忘れ去られてしまったのです。

月日は流れ、隠者パイオが不思議な光に導かれて使徒の墓を発見したのは813年(820年説や830年説などもあります)です。その場所こそが今日Santiago de Compostelaと呼ばれ、多くの巡礼者を迎える聖地となっているのです。

この使徒ヤコブの遺体を運ぶ旅は”Traslatio”と呼ばれるようになりました。ポルトガル人の道のVariante Espiritualの根幹をなすルートです。

ポルトガル人の道もいくつかのルートに分かれています。Camino Central, Camino de Costa, Senda LitoralそしてVariante Espiritual。

今回、私たちが辿ったのはポルトガル側の国境の町、Valençaら橋を渡ってスペインに入り、Camino CentralをなぞってPontevedraまで北上し、そこからVariante Espiritualに入るルートです。

Variante Espiritualに入ってからはArmenteiraを通り、Villanova de Arousaまで行き、このルートの最大の特徴であるボートで海を渡り、川を遡るというtraslatioを再現してPontecesuresに上陸します。1960年頃にこのルートに沿って石の十字架が17か所立てられました。あるものは海沿いの岩に。またある者は島の上に立てられました。今日では風雨にさらされた十字架が巡礼者を導いてくれます。

上陸の後はPadrónまで歩き、そこで再びCamino Centralに合流してSantiago de Compostelaをめざします。

私たちが海を渡った日は生憎の雨。しかもかなりの雨量でした。予約したボートは小型船舶で屋根もなく、隣に係留されていた大型観光船を横目に見ながらボートに乗り込み、雨具の上から更にボート会社から支給さた雨用ポンチョを着込み、雨と寒さに震えながらの試練の旅になりました。

ヤコブを載せた船を係留したとされるマイルストーン(石)は現在、Padrónの聖ヤコブ教会の主祭壇の下にあります。

私が教会を訪れた時にも、信者が祭壇に跪き祈りを捧げていました。

Traslatioの道はマイナールートであるが故に、人も少なく、静かに歩むことができます。また、荒天ではありましたが、風と波を感じながら聖ヤコブと弟子たちの旅路を辿れたのは貴重な経験であったと思います。

Xacopediaより
聖ヤコブを乗せた船が繋がれたとされる石柱 (Pedrón)