イエスさまに出会う

CaminodelNorte2024

[北の道」は初日からカンタブリア海を見下ろして草原を歩く素晴らしい巡礼路でした。幸いお天気にも恵まれて、青空の下、景色も心も清々しくスタートを切りました。

高台から海を見下ろし、海岸まで下ってはフェリーで海を渡り、砂浜を歩きます。翌日は海の向こうから昇る朝日と赤く染まる海に感動です。

毎日飽きることなく、いちいち驚きながら歩いた3日目。Getariaという街を通りました。町の入り口から続く石畳の道。草原と森の横を通ると少し海が見えてきました。

森がふっつりと途絶えるとそこには開けた青々とした牧草地と一本の道。そしてその道の先にはカンタブリア海が一気に広がります。道は下っているようで、歩いてきた巡礼者の目線で見ると道の先端が海に落ちているようです。

牧草地でのんびりと草を食む羊たち。その牧草地を貫く一本の道を一人の巡礼者が海に向かって歩いています。私は立ち止まり暫く見とれてしまいました。そして、前を行く巡礼者の後ろ姿を入れて夢中で写真を撮りました。

牧草地を貫く一本の道。傍らで草を食む羊たち。一人歩く巡礼者。その背中には黒いバックパックに付けられた白いホタテ貝。目の前に広がるカンタブリア海、地平線に溶ける青空と真っ白な雲。

何もかもが美しく、その場に立ち尽くしました。

この日の夜、私は”今日のベストショット”としてこの時の写真を家族に送っています。

その後も山を越え、海沿いを歩きましたがあの時の感動は深く心に刻まれていました。毎晩のように写真を眺めていましたが、この写真も一人の巡礼者が映っていることで完成度が上がっていると一人悦に入っていました。

それから何日かしてMarkina-XemeinからGuernikaへ向かっていました。この日は内陸を行く道です。

Bolibarは石畳が続く小さいながらも趣のある街並みです。年季の入った茶色のスペイン瓦と白い壁の家が続いています。家の窓には細工のある格子がかかり、バルコニーには華やかな植木鉢が並んでいます。

続く街の先にはZenarruza修道院があります。バスク州文化遺産として登録されています。15世紀に建てられたゴシック様式の教会にはかつては巡礼者のための病院が併設されていました。現在は巡礼宿としてここを通る巡礼者が一夜の休息をできるようになっていますし、建物の周囲に広がる芝生では多くの巡礼者が芝の上に腰を下ろして休憩をしていました。

ここバスク地方の巡礼路で見かける十字架の形にも特徴があり、そんな珍しい景色や17世紀の鉄鋼所跡を通って道は続きます。

Bolibarの街並み
牧場の中、牛たちの横を恐る恐る歩きます
Zenarruza修道院
修道院の前庭はきれいに整備されています

Guernikaまであと2kmほどの所で疲れてカフェに入りました。少し気温も高く、冷たいコカ・コーラとフレッシュオレンジシュースを飲んで休憩です。

巡礼者の姿も見当たらず、一人座って休憩していると、お店の奥に実はもう一人巡礼者と思しき男性が座っているのをみつけました。のんびりとコーヒーカップを傾けながら外を見ています。見るともなくその人をぼんやりと眺めていたのですが、ふと気になりました。

彼の服装です。少し珍しいカーキ色の短パン。床には小ぶりの黒いバックパックが置かれています。座ってはいますが、その背格好が何日か前に映した「マイ・ベストショット」の中の人にそっくりなのです。

声をかけようかどうしようか迷いましたが、思い切って話してみることにしました。

「巡礼ですか?」と声を掛けました。

「そうだよ。」

「もしかしてIrúnから歩き始めました?」

「そう」

「海沿いを歩いてますよね?」

「そうだけど...」

「私、何日か前にカンタブリア海に向かう坂道で素敵な写真を撮ったのだけれど、もしかしたらあなたがモデルとして写っているかもしれないの。写真、見てくれる?」

私はスマホの写真を探し出して彼に見せました。

男性は「ちょっと待って!」とおもむろに眼鏡を取り出して写真を拡大して暫く眺めた後で、「これ、絶対に僕だよ」と驚いた様子です。

「やっぱり!短パンの色が同じだと思ったの。素敵な写真でしょう。この写真は”この日のベストショット”、って家族に送ったのよ」

「本当に良く撮れてるね。」と嬉しそうにほめてくれました。

「この写真は、ここに巡礼者が入っているからベストショットなのよ。モデルになってくれたお礼にこの写真プレゼントさせて」

という訳で、彼が写っている写真5枚をエアドロップで渡したところ、

「ここで会えた偶然もすごいと思うから、一緒に記念写真を撮ろうよ」と提案してくれました。

写した記念写真は再び私からエアドロップで写真を送り、「因みに、私はトモコで日本から巡礼に来ています。」というと、少しだけためらうように

「僕はスペイン人でジーザス、スペイン語でヘススだけどね。」と教えてくれました。

スペインではヘスス(Jesús)は良くある名前だけど、先ずジーザスと名乗ったのが少しおかしかった。巡礼路で名前を聞かれてスペイン語名で答えてもさんざん「ジーザス!」と言われてきたのでしょう。

「えっ、私はイエス(ジーザス)さまの写真を撮ったの?素敵なショットになるはずね!」

「サンティアゴまで歩くの?」と聞くと、

イエスさまの答えは、「ん~、神のみぞ知る、かな?」でした。

声をかけて本当に良かった。その後、イエスさまに再会する機会はなかったけど、楽しい一時でした。はたしてイエスさまはSantiago de Compostelaまで歩いたのでしょうか?

ジーザスとの記念写真

スペイン語=ヘスス 英語=ジーザス ヘブル語=イエス(イェシュア)

(参考解説)

聖書は元来ヘブル語とギリシャ語の言語で主に書かれています。という事は、それ以外の言語で書かれた聖書は翻訳された聖書であるという事になります。「イエス」(Jesus)についても同じで、英語では「ジーザス」と発音していますが、元々のヘブル語での名前では、「イェシュア」Yeshuaと発音します。これが新約聖書にギリシャ語で「イエスス」(Iesous)と翻訳され、続いてラテン語に翻訳されて「イエズス」(Iesus/Jesus)となったわけです。ですから、音としては「イエス」はほぼヘブル語のオリジナル「イェシュア」の雰囲気を保っている事になります。

一方、キリストは元のヘブル語で「油注がれたもの」(Anointed)という言意も持つ「救世主」の事を「メシヤ」(Messiah)と呼びました。それが新約聖書ではギリシャ語で書かれて「クリストス」(Christos)となり、続いてラテン語「クリストス」(Christus)、英語「クライスト」(Christ)と続き、日本ではキリストと伝わったわけです。ですから、イエス・キリストは、発音的には「イエス」はヘブル語、「キリスト」はギリシャ語という、言語まぜこぜの呼び名になっているわけです。

(日本会議通訳者協会・聖書に学ぶ英語表現と精神世界「Jesus Christ!」より抜粋)

この森を抜けると
この景色です