王家の修道院

Camino Frances2022

修道院の回廊は静謐とも言えるキリリとした静けさを湛え、今にも”亡き王女のパバーヌ”ご聞こえてきそうだ。

Monasterio Santa María La Real de las Huelgas、日本語ではサンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院はブルゴスの町から歩いて30分ほどのところにある。

この修道院はカスティーヤ王アルフォンソ8世と王妃レオノールによって1187年に創設された女子修道院である。修道生活では女性が男性と同等の責任と権利を持つべきという理念から特に王妃レオノールの庇護のもと創設されたのだ。日本ではちょうど鎌倉時代が始まった頃だ。

詳しい歴史は専門書に譲るが、現在でも同じ理念で営まれている。

見学ツアーのガイドの説明が私の心を捉えた。

当時、貴族の家に生まれた女性は政略結婚の道具であり、産まれた時からどこに嫁がせるかを考えて育てられる。彼女達はろくに読み書きも教えられず、生家のために嫁ぎ先との橋渡しをし、嫁ぎ先では子孫を残す事が課せられる。この点では洋の東西を問わず同じ歴史があるのは残念なことだ。また医療が脆弱であった時代に出産は母子ともに死亡率は高かった。女性も命がけで生きたのだ。

そのような時代、この修道院が設立されて修道女を募った際には向上心のある若き乙女たちがこぞって手を挙げたという。

学問が許され、自治が与えられ、一生涯経済的な不安もない。不本意な結婚を強要されることもなく、危険な出産もせずに生き抜く。そんな未来にすがった女性も多かったに違いない。しかも、修道院への貢献が大きかった貴族の娘が入る際には侍女を連れて行くことまでも許されていたという。最初に修道女として選ばれたのは21人の貴族の娘たちだった。

こぞって希望したのには更に理由がある。設立当時の修道院は宮殿に併設されていたためclausura (出入り禁止の修道生活)ではなく、自由に外部との接触ができたのだ。修道女の中には立場を利用して実家と王室の関係を深める大きな役割を果たした者もいるという。知識と教養を深めながら自分の才覚を発揮できる極めて稀な場所であったに違いない。

この修道院は貴族から寄贈された広大土地を持ち、もちろん女性である修道院長は自治権を保障され、自らも高位聖職者であり、修道院長の上位は法皇のみであった。当初、修道院長には王家の血をひく地位の高い女性が選ばれた。因みに初代の院長は血統王女マリアソル、次代には創設者の国王夫妻の娘のコンスタンサであった。彼女たちはミサを行ったり懺悔を聞くことは出来なかったが、それらを執り行う司祭の任命権を持っていた。

今は静けさの中にある修道院を歩きながら、様々な空想が私の中を駆け巡る。

選ばれし者となった最初の21人の修道女たち。彼女たちは何を考え、どんな気持ちで過ごしたのだろうか。王家宮殿に併設された修道院は現在とは違った佇まいであったろう。知識を得て、自分の立ち位置に気づいた修道女たちは神へ祈りを捧げると同時に処世術にも長けていったことだろう。それはその場所で生きるための術でもあったと思う。最初は高き理想があったに違いない。それでも年月と共に彼女たちなりの悩みや困難、焦燥感、思い描いていた理想と現実の狭間で苦しんだこともあるだろう。外の世界との接触もあったのだから女性として恋をしたこともあっただろう。知識を得たからこそどのような人生を歩むべきか迷い、悩み、苦しんだ人もいたに違いない。

今は静かなこの建物には、耳をすませばその当時の想いが渦巻いているように思える。

現在も王立であり続けるこの修道院に私は深い感銘を受けると同時に12世紀から女性の地位向上に国として力を入れてきたスペインという国の哲学と文化を称えたい。以前から不思議に思っていたことがある。スペインでは多くの女性が政治に参加し、国の重要ポストに付いている。その下地は既にこの時代から培われていて女性が大臣になることが当たり前の国なのだ。だからどこかの国のように内閣が組閣される度に「女性大臣の人数」がニュースになることはない。

国の成り立ちは長い長い年月によって少しずつ作られていく。この修道院はその中でどんな役割を果たしたのだろうか。

今日、同じ建物の中で静かに祈りを捧げる25人の修道女たちは何を想うのだろう。