一度は登ってみたい山№1と言われる富士山。私も一度はと思っていましたが、毎年ニュースで伝えられる人の多さに尻込みしていました。
そのようななか、mont-bell企画の「富士山麓古道トレッキング」をみつけました。
イベントの説明に、
”一合目から五合目までを登る富士山吉田口ルート。富士山麓の自然や、信仰の歴史などの説明を織り交ぜながら登っていきます。砂礫の富士登山とは違う魅力を見つけられるはずです。コース最後の森林限界である五合目に立てば、標高2300mから爽快な展望が待っています。(途中一部省略)”
とありました。山頂に登る体力には自信がないものの、古に人々が歩いた道を辿る古道歩きに興味をもちました。
ルートは富士吉田市の馬返駐車場から吉田登山道を辿って五合目の佐藤小屋までの往復、約8.5kmです。
5月中旬、午前9時50分に馬返駐車場を出発しました。
この登山道は明治40年以前の姿に復元・整備されたそうです。そしてかつては富士山登山の人や物資の運搬に馬が使われ、ここで馬は引き返していたことからこの名がつきました。
駐車場には殆ど車もなく、閑散とした登山道入り口です。1964年に富士スバルラインが開通してからはここから富士山山頂を目指す人も減り、古道としてひっそりと残っています。訪れるのは古道を歩く僅かなハイカーとトレールランのランナー達ということでした。
古道入口の手前には大文司屋という小屋があります。大変由緒ある小屋です。かつては登山用の金剛杖に焼印も押していたそうです。いまでは可愛らしい”大文司屋焼印木札”が売られています。
富士山頂を目指した古の人々は、ここで身支度を整え、お祓いを受けて身を清めてから歩き始めたそうです。直ぐ上にある鳥居では狛犬ではなく狛猿が守りについています。青々とした木々の間を緩やかに登っていきます。地にはスミレが満開でした。
鳥居を入ると禊所の石碑だけが残っており、一合目1,520mの標識があります。
一合目には鈴原社のお社があります。古くは大日堂と呼ばれ、大日如来を祀っていたそうですが、明治時代の神仏分離により、大日堂から鈴原社と改められて天照大神を祀っています。
古道は緑豊かで、シラビソ(白檜曽)やツガ、テンナンショウも花をつけていました。
二合目(1,700m)には石碑がいくつか立っているだけで、「御室浅間神社」と呼ばれていた建物は既に朽ちていました。現在神社は里宮に移されているそうです。
道はとてもきれいに整備されていて、足元が危ない所もなく、また、所々に木枠で作った桝のような部分があり、中には大きな石が並べれて土留めの役割をしているということでした。
三合目には出発から2時間足らずで到着しました。
見晴茶屋があった所です。富士五湖が一望できたためこの名がついたそうです。江戸時代には賑わっていたようで、明治末から昭和の初めまでも大勢でにぎわっていた絵葉書が看板になっています。
ここで、遥か眼下に見える河口湖を見ながらお昼を摂りました。お天気も良く、コンビニのおにぎりもひときわ美味しく感じます。
四合目には大黒天と呼ばれる茶屋があったそうです。ここは2,010mあります。ようやく2,000mを越えましたが、登りが少しきつくなってきました。
展望の良い所を通って次の標識が見えてきました。期待は外れ、四合五勺とありました。御座石と呼ばれ、神様が依りつく石の事だそうです。
戦国時代まではこの場所以上が女人禁制とされていました。江戸時代になると二合目以上が女人禁制になったそうです。現在はその名残として「富士山遥拝所女人天上」が残っています。
登山道は石が多く、その石も黒い溶岩のようなものが多く見られるようになりました。明らかに下とは地形も様子も変わってきました。
五合目は「中宮」、「天地の境」と呼ばれる領域です。富士山を三区分する草山・木山・焼山のうちの木山と焼山の境界にあたります。
この先の佐藤小屋まで、少しの間舗装路を通るのですが、そこでトレールランをしていた方から、「そこにニホンカモシカがいますよ!」と教えていただき、連れていってくれました。1頭が身じろぎもせず、ジッとこちらを見ています。驚かさないように、なるべく声をたてず、動かず暫し撮影タイムとなりました。
この舗装路から10分足らずで佐藤小屋(2,230m)に到着しました。小屋は閉まっていましたが、屋根の下のテーブルとイスで休憩です。
富士山頂を望みましたが、下から雲が駆け昇り始めていて殆ど見えませんでした。空気はキリリと涼しく1枚、2枚と着込んで休憩です。
下山は元の道を馬返駐車場まで辿りました。
帰路、北口本宮富士浅間神社に詣でました。朱色の立派な鳥居と境内には拝殿・幣殿および樹齢1,000年を超えると言われる富士太郎杉があります。五合目まで登らせて頂いた御礼を申し上げました。
富士山麓から五合目の道は今はひっそりとしていますが、かつては一世一代の大旅行で富士山を詣でた人々の足跡を辿る道です。その昔は草鞋を履き、家族・親族・村人の期待を一身に背負って登ったであろう往年の賑わいを想像しながら辿りました。娯楽というには過酷で、時には行き倒れになる人もいたそうです。富士吉田市の町に下りれば、御師の家と思われる、入り口に提灯を下げた家が何軒もありました。
富士山を巡るそんな歴史を感じながら歩いた五合目までの古道。古くから自然を崇め、畏怖し、愛でてきた日本の文化を感じた一日でした。