2024年のサンティアゴ巡礼、ポルトガル人の道は嬉しい再会の旅でもありました。
2022年、フランス人の道で出会ったイサベルとは最後にフィニステーレで奇跡の再開を果たしました。その時に姉妹のゼズィーニャにを紹介されました。70歳を過ぎた姉の巡礼を心配し、激励するためにゴールのフィニステーレに車で駆けつけていたのです。
そして2024年3月に熊野古道を歩くため来日した彼女たちと再会しました。無事に中辺路を歩き終えた彼女たちを私は高尾山に誘い、一緒に登り、楽しい一日をすごしたのです。
その際に、「近々ポルトガル人の道を歩くの」と伝えると、「リスボンに来るときは必ず教えてね」と言ってくれました。
イサベルは不在でしたが、ゼズィーニャとリスボンでゆっくり三度の出会いを果たすはずだでした。
ところが飛行機の大幅な到着遅延で、一旦は会うのを諦めて連絡をすると「大丈夫。飛行場に迎えに行って、一旦ホテルに寄ってからリクエストがあったファドのお店に連れて行くから。」と言ってくれたました。
果たして、飛行場でゼズィーニャがにこやかに迎えてくれました。右も左もわからない空港から車でホテルまで送ってくれました。私達二人だったら、タクシー乗り場を探して右往左往していたことでしょう。ホテルに着くと、既にポルトガル入りをしていたたエンドウさんが合流し、念願のファドのお店に連れて行ってくれました。
美味しいポルトガル料理に舌鼓をうち、哀愁漂うファドを聞きながら日本での旅行の事、これからのカミーノの話しとあっという間に時間が過ぎていきました。そして「もう暗いけど」と言いながら車窓からリスボンの町を案内してもらいました。リスボンの旧市街では翌日の革命50周年の準備が進められており、通行止めの道路もありました。「1日あれば色々な所に案内できたのに。」と残念そうにホテルまで送ってくれたゼズィーニャ。「Buen Camino!」、温かいハグと共に送り出してくれました。
ゼズィーニャとはカミーノを一緒に歩いた訳でもありませんが、高尾山に登った際に共感することがいくつかありました。同じ考えの人がいたんだ、と思えたのです。ゼズィーニャは自分の考えをしっかりと持ち、姉のイサベルとはタイプは違うけど、二人ともとても素敵な女性だと思いました。私もこんな風に歳を重ねたいと思える二人。三度会えたことはとても嬉しく思いました。
ほんの僅かなご縁から広がった海を越えた人と人の結びつきの不思議と幸せを感じた再会でした。