奈良 山の辺の道

歩き旅

2024年6月、奈良県の山の辺の道をJR柳本駅から三輪駅まで歩きました。

およそ7.2km、3時間15分の道のりです。

名前からも郷愁が感じられるこの道。奈良県観光局観光戦略課HPには以下のような説明がされています。

「周囲を小高い山に囲まれた奈良盆地。古代、その東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道がありました。「日本書紀」にその名が残る、それが「山の辺の道」です。」

今回スタートする柳本駅へは、JR奈良駅から趣のある路線名、万葉まほろば線に乗って約20分です。

駅から進む歩道には「大和・山の辺探訪物語 山の辺」のタイルが埋め込まれていて、それを辿っていけば山の辺の道に入ることができます。

駅から2・3分の所に、早くも古墳が見えてきます。黒塚古墳です。堀に囲まれた小さく可愛らしい古墳ですが、卑弥呼の鏡と言われている三角縁神獣鏡が33面も出土したほか、刀剣や鉄鋏、武具などの副葬品が多数見つかっています。誰の墓かは分かっていませんが、初期国家形成にかかわった有力者の墓と考えられてます。(奈良県観光局観光戦略課HPより)

山の辺の道は道標がしっかりしてとても整備されています。舗装路を渡るといよいよ山の辺の道のコースに入ります。桜井方面を目指していきます。

先ずは崇神天皇(行燈山古墳)が見えてきます。道から一段高い石垣があり、その後ろは堀になっています。堀の向こう側はこんもりと木々が生い茂った古墳です。

何か所かに門が設置されていますが、入ることはできません。入口には「陵墓地につき許可なく立ち入らぬこと・宮内庁」の立て看板があります。

山の裾野を歩くルートなので、所々に畑や田んぼがあり、柿の木には小さな実が付き始めていました。

20分ほどで景行天皇陵(渋谷向山古墳)です。こちらもそばからは前方後円墳の形は分かりませんが、案内板が立っています。

丘陵地帯の開けた所にくると、菖蒲が満開でした。白、紫、黄色の勝負が咲いており、とてもきれいでした。この日は「山の辺の道ファンクラブ」と方達がルートの整備活動をしていました。この菖蒲もファンクラブの方達によって植えられたもののようでした。

菖蒲が咲く道を過ぎと所に、「絶景ポイントがあります。是非お立ち寄りください」の看板がありましたので少し丘を登っていきました。

あまりお天気は良くありませんでしたが、看板の通り、金剛山や葛城山、うっすらと高野山、吉野山が見えました。

ルート沿いの水田では、田んぼにはられた水に写る植えたばかりの青々とした苗と水に反射する陽がとてもきれいでした。

歩き始めてから1時間40分程で檜原神社に着きました。ご祭神は天照大神です。HPにもありましたが、私が行った時にも境内が掃き清められていました。ちょうどお日供の時間で神主によって神饌が捧げられていました。

鳥居の前には茶屋があり、少し休息をしてから先に進みます。檜原神社からは森の中を少し歩きます。小さな水路があったり、塚があったり、玄賓庵という今は真言宗の寺院がひっそりとあり、古道らしい景色の中を歩きます。

檜原神社から45分で狭井神社に到着です。こちらは三輪の神様の荒魂を祀る神社と言われている大神神社の摂社です。荒魂を祀っているので、力強い御神威から病気平癒の神様として信仰されています。桧皮葺きの拝殿が印象的で、脇には薬井戸と呼ばれる霊泉があります。

狭井神社の境内からは大神神社のご神体である三輪山への登拝口があります。これは「お参り」の為の入山なので、登山やハイキングで入ることはできません。ルールがあり、社務所で届け出をしてから規則に従って入山することになります。

今回、私は狭井神社から大神神社へと行きましたが、本来は逆のルートのようです。そして、この二つの神社を結ぶ道は「くすり道」と呼ばれています。

この日の目的地は大神神社です。御祭神は大物主大神です。創祀に関わる伝承が「古事記」「日本書紀」にもみられるそうです。このため、今日でも記紀にみられる伝承を鑑みて本殿を設けず、直接に三輪山に祈りを捧げる原初の神祀りの様を守っています。(大神神社HPより)

この霊験あらたかな地をゴールとして今回の歩き旅は終了です。

7kmあまりの短い旅でしたが、1000年を超える時を経て、今でも人々の往来がある穏やかで里山の風情が残るすてきな古道でした。

最後に、三輪駅の近くで三輪そうめんを頂きました。