初めての出会いは2022年9月28日、日の出の時間だった。
Sansolという村を通過中に輝きだした地平線が雲を照らし、空全体の色が変わり始めた頃、見とれて写真を撮っていた私に話しかけてきたイサベル。人の心をすーっと開かせる達人だった。
地平線からちょっとだけ顔を出した太陽をバックに二人で写真を撮った。ショートカットに赤いキャップをかぶり赤いジャケットを着て颯爽と歩く。
前に書いたエッセイ「最強のイサベル」との出会いだ。イサベルは私よりもずっと早くSantiago de Compostelaに着いたが、思いがけない感動の再開をFinisterreで果たし、私たちは別れた。
あれから1年半が経ち、私たちはまた出会ったのだ。東京で...。
2024年2月に「熊野古道を歩きたいの」と連絡があった。既にCamino de Santiagoを歩いているイサベルは「Dual Camino Pilgrim, 二つの道の巡礼者」の資格がある。そしてこのDual Camino Pilgrimを成し遂げるためにはどの道を歩いたら良いのか、何日くらいかければよいのか、宿の取り方や交通手段、ジャパン・レール・パスはあった方が良いのかなど、多岐にわたる質問が次々に寄せられた。送られてくるメッセージには熊野古道を歩きたいという熱意が感じられ、何とか良い旅をして欲しいと思った。
1年半ぶりに東京で再会したイサベルは変わらず颯爽としたいて、彼女の妹と妹のご主人も一緒だった。
東京で一夜を過ごしただけでイサベル一行は紀伊田辺に移動した。相変わらずのタフぶりだ。2日目を除いてはお天気も良く、毎日Instagramにアップされる写真を私は楽しみにしていた。中辺路の山の中を歩く姿は楽しそうで、私まで嬉しくなってきた。2日目、雨にもかかわらず、予定よりも先のポイントまで歩いていた。突然私に「ホテルに伏拝王子に迎えに来てくれるように電話してくれる?」と連絡があった。発心門王子で止まるはずだったのに、何かあったのかと案じたが、「大丈夫なの?」の問いに「私たちは大丈夫よ!」と雨合羽で満面の笑みの三人の写真が送られてきた。そして2日半で中辺路を歩き切り、「大太鼓の儀」もつつがなく終え、無事に「二つの道の巡礼者」となった。
その後、日本のあちらこちらを観光し、東京に戻ってきた。
一度、日本の山に一緒に行きたいと思っていたので、安全に日帰りで行かれる高尾山に誘った。当日は曇り空。それでもケーブルカーに乗って高尾山駅まで行き、焼き立て熱々の天狗焼きを頬張りながらゆっくりと山頂を目指した。
浄心門をくぐり、立ち並ぶ灯籠や寄進者の札に興味津々だった。
健脚三人組はあっさり山頂に到着して山頂ポストで記念写真。折悪しく雨がポツポツと降り出した。それでも僅かな雨だったので、帰りは4号路を通り、つり橋を渡って高尾山駅に戻り、ケーブルカーで下山した。
せっかく日本まで来てくれた三人に私はサプライズを用意していた。高尾山口から車で10分足らずの所にある料亭、うかい鳥山を予約しておいた。
料亭に着くなり、「これぞ私たちがイメージする日本だわ!」と喜んでくれ、離れの座敷に上がるなり、まだジャケット脱ぎかけの私は三人からハグされた。
タラの芽やふきのとう、竹の子の若竹煮にたけのこご飯、そして鶏の串焼きなどを、美しく盛られた日本料理をとても喜んでくれた。そしてお料理を頂きながら今回の熊野古道や京都、奈良、大阪、広島の話し、そして2022年に出会ったスペイン巡礼路の昔話に花を咲かせ旧交を温めた。
後にイサベルが投稿した当日のInstagramに「カミーノで偶然出会った人との結びつきは強く、国に帰ってからも互いに彼らはどうしているだろう、と気遣う気持ちが途切れることは無い」と書いてあった。本当にその通りだと思った。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼路での出会いは人々を強く、深く結びつける。そして事あるごとに思い出す。今どうしているだろうか?元気にしているだろうか?また会えるだろうか?…と。
聖ヤコブが死して尚もたらす恵みとは宗教心だけでなく、このような事なのかもしれない。遠く離れていても互いに思いやる優しい気持ちを芽生えさせ、育んでくれる。これこそがカミーノの神髄なのかもしれない。