雲のお話し

Essay

私は雲が好きだ。青い空に湧き上がり、変幻自在に形を変え、流れて消えていく。その様をぼんやりといつまでも眺めている。

巡礼路では実に様々な雲たちに出会った。

巡礼の初日、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩き始め、急な坂道を登っていくと先ほどまでいた街が雲海に沈んでいた。周りの空は青く、その下にはふんわりとした雲の海があり、その海に浮かぶ島のように山のてっぺんだけが頭を覗かせている。街はさながら海底都市のごとく雲海の下に沈んでいて見えない。徐々に標高が上がりピリネーを超える頃には雲海は消えてポコポコした雲が点々と空に漂う。雲好きの私は既に巡礼の雲に魅せられていた。

山の上にあるAlto de Perdonは強風が吹いていたが、真っ青な空に無数の真っ白い雲がまるで海を行く船団のように流れていた。

刈り取られた広大な干し草畑の上の青い空にはフワフワの雲と筋雲が重なり合い美しい模様が描かれていた。

町まで10km以上もありそうな石ころだらけの道中、遠くから少しずつ近づいてくる雨をもたらす灰色の雲がみるみる広がりその中で稲妻が光る。お願い、来ないで!と祈りながら先を急いだ。

早朝に出会う雲たちは個性的だ。
朝焼けが残る中、真っ青な空に描かれた飛行機雲は旅客機とは思えないほど一直線に上昇していく。
視界の端から端まで伸びたロールケーキのような雲が徐々に朝日に照らされてピンク色に染まる。
そうかと思うと、低く垂れこめたずっしりとした灰色の雲が朝焼けで黒っぽいオレンジに染まり圧巻の風景を醸し出す。

しかし、この巡礼で私の一番のお気に入りの雲はCruz de Ferroで出会った雲だ。

フランス人の道のハイライトの一つであるCruz de Ferro。小高い丘の上の塔の上に鉄の十字架が掲げられている。巡礼者は過去と決別するために自宅から、または自国から持ってきた石をこの十字架の下に置いていく。丘の上から下までが大小の石で埋め尽くされている。多くの石には願い事なのか、文字が書かれている。

その日の朝、宿を出てしばらくすると雨雲がかかり、霧が出て一気に視界が悪くなった。せっかくのハイライトなのに残念、と思いながら山を下り始めた頃に、幸運にも少しずつ霧が薄くなってきた。

遠くの丘にCruz de Ferro、十字架がかすかに見え始めた時に目を疑う光景がそこにあった。天を指す十字架の先端の上に丸い雲がかかっている。しかもその雲は十字架の先端部分だけがへこんでいるのだ。まるで浅いお椀をかぶせたように。その雲は二重、三重にかかり、しかも雲が朝焼けでキラキラと輝いている。何とも絵画的で美しい。正に絵に描いたような風景だ。

実際の場所は横を自動車道が通り、私が思い描いていたような厳かな雰囲気はなく、巡礼者もお祭り気分で写真撮影に興じていたし、遠くからは真上に見えた雲は少し離れたところで十字架を見守るように浮かんでいた。

しかし、そのUFOのような雲はその日、私と歩を合わせるようにずっと横にいた。10km以上の距離をまるで私を見守るように少しずつ形を変えながらのんびりと、そして悠々と供をしてくれたのだ。山を越えた後、町に入る手前でスーッと細い雲になりやがて消えていった。まるで「お供はここでおしまいよ」とでも言うように。

その後も数々の雲と出会い、これらの写真を撮り続けた。

帰国後に自分の為だけに「El Cielo del Camino(カミーノの空)」という写真集を作った。お気に入りの雲の写真を選んで一冊にまとめた写真集だ。時々眺めては一人悦に入っている。この写真集を開くとその時の光や風やにおいが鮮明に甦ってくる。

37日間歩きながらぼんやりと眺めた雲。色々な想いを巡らせながら、または無心で眺めた雲。

今は日本で雲を眺めながら時々巡礼の雲を思い出している。

(雲たちの写真は当ホームページのGalleryおよびInstagra”tomoko0618_60s”でもご覧いただけます)