形の良いアーチ型の石の橋を渡って町に入った。今日宿泊するアルベルゲ*は橋を渡って直ぐの所にあった。
「Hola、今朝電話したトモコだけど、あなたがマリア?」
アルベルゲのドアを入るとすぐ右手に受付らしき机とベンチがある。机の向こうにはオスピタレーラ*らしき女性が座っていた。
この日の朝、天候が悪くなると聞き、急きょ行先を変更して予定よりも少し手前の町のアルベルゲに電話で予約を入れた。大部屋のベッドは既にいっぱいだったが、個室ならば1つだけ空いているという。一人での使用に最初は躊躇していたマリアだったが、「ネットで部屋が空いていたからもう荷物を送ってしまったの。お願い、泊めて。」と頼むと、快諾してくれた。
受付で、パスポートと巡礼証明書を出し、クレジットカードで支払いを済ませた。「WiFiとパスワードはこのメモを写メして。個室は離れにあって部屋の鍵はこれよ。今案内の女性がくるから。洗濯機の使い方は彼女に聞いてね。」と矢継ぎ早に説明を受けながら、返してもらったパスポート、巡礼証明書、クレジットカードとその控え、部屋の鍵を手当たり次第にしまい、急いで写したWiFiのネットワーク名とパスワードを確認して、貴重品を入れたバックを肩にかけ、配送した大きなバックパックと持ち歩いている小さなバックパックを後ろと前に担ぎ、忘れないようにストックを持った。マリアのアシスタントとおぼしき女性が、「付いてきて」と先頭に立ってアルベルゲを出た。
「ここの角には商店があって、飲み物とか果物、ちょっとした食料があるわ。」と歩きながら説明してくれる。
「どこかで切手売ってる?日本に絵葉書を出したいの」と私。
「あなたが泊る建物の先に1件売っているところがあるけど、まだ開いてれば買えるかも・・・」
日本人からするとスペインはお店が開いている時間が微妙に短い。
「そう、じゃあ荷物を置いたら直ぐに買いに行ってみるわ」
たわいもないおしゃべりをしながら部屋に着き、シャワールームの場所や洗濯機の使い方を教えてもらった。
「洗濯物はここに干せばいいわ。今日は直ぐに乾くわよ。じゃあ、ゆっくり休んでね!」と帰っていった。
荷解きもせずに私は直ぐに切手を買いに行き、その足で商店に行ってお水とスナックを少々買ってきた。
部屋に戻って、ふと気が付いた。あれ?スマホが無い!!手当たり次第に探してもどこにも無い!!巡礼を始めてまだ何日も経っていないのに、ここでスマホが無くなったら、と思うと頭の中が混乱して顔から血の気がひくのが分かる。
私は直ぐに部屋を飛び出した。アルベルゲの受付でWiFiのネットワーク名とパスワードを写メしている。きっとそこにある!
あいにく受付にマリアは居らず、ざっと見ても私のスマホらしき物はない。マリアが戻るまでに切手を買った所と商店に確かめに行った。どちらにも無い!
再度受付に戻るとマリアが座っていた。
「私のスマホ、見なかった?どうやら無くしたらしいの。立ち寄ったお店には無いのよ。」と、まくし立てるように一気にしゃべった。
「それは大変。」マリアは直ぐに立って、机の周りを確認してくれたけどやはり無い。
「トモコ、落ち着いて。いいこと、部屋に戻って先ずは座って深呼吸して。それからサンティア…じゃない。巡礼はサンティアゴだけど、ここではサンアントニオ*にお願いするの。スマホをどうか私の手に戻してください、って。いい、サンアントニオよ。間違えないでね。私もいつもサンアントニオにお願いして叶えてもらっているからきっと大丈夫よ!」
私は足早に部屋に戻り、部屋に一つだけある椅子に座って深呼吸した。
「サンアントニオ、私は巡礼を始めたばかりの旅の者です。まだ先は長いのです。スマホが無いと本当に困ってしまいます。どうかスマホを戻してください。どうかどうかお願いします。」と我ながらとても謙虚にお願いした。
お願いの後、先ずはサブバックパックを逆さにして全ての物を出して確認した。無い!
次に貴重品入れたバックも同じく逆さにして全部出してみた。無い!しかし、このバックにはファスナー付きのポケットが一つあって、そこは高額の現金を使う時以外は開けていない。はずだったが、念のために開けてみようと思った瞬間、四角い、堅い物が手に触った。あれ、入っている。スマホだ! あったー。
何故こんなところに入れたのか、しかもご丁寧にファスナーを開けて、入れて、閉めるという手間のかかることをしたのか全く記憶にない。いっぺんにたくさんの物を渡されて、スマホは無くしてはいけない、と無意識に安全な場所にしまった? いや、違う。無くしたスマホをサンアントニオが見つけてこっそりここに入れてくれたに違いない。
ありがとう、サンアントニオ、そしてマリア。
私は見つけたてのスマホで直ぐにマリアに電話をした。
「マリア、サンアントニオにお祈りしてから探したらバックの中にスマホが入っていたわ。ちゃんと見つかった。本当に良かった!ありがとう。」
「ほらね、言ったでしょう。サンアントニオは絶対なのよ!」
「サンアントニオにももちろん感謝しているけど、私にとってはあなたが本当のマリアさまだわ。」
本心だった。
電話の向こうで“ふふっ”と、まんざらでもないマリアさまの声が聞こえた。
「ゆっくり休んでね」
「そうするわ。ありがとう」
後日、サンアントニオとはどんな聖人か調べてみると、「パドヴァのアントニオは失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人とされている(Wikipedia)」と書いてあった。
*アルベルゲ 巡礼者用の宿
*オスピタレーラ(又はオスピタレーロ)巡礼宿の世話人
*サンアントニオ = 聖アントニオ