街道歩きをしてみたい。
そんな思いから選んだのは中山道の一部である木曽路です。
小説「夜明け前」の舞台でもあり、冒頭の「木曽路はすべて山の中である」はあまりにも有名ですが、実際にはどのような所なのでしょうか。歩いてみたいと思いました。
発信されている多くの情報は、木曽路のハイライトである妻籠宿、馬籠宿、そして奈良井宿や中津川宿についてです。そこで”ホントに歩く中山道”(風人社)の地図を購入して計画を立て、地図を片手に歩いてみることにしました。これは、前回の東海自然歩道で地図が読めなかった苦い経験からの反省を込めての歩き旅でもあります。
今回の計画では、「是より南 木曽路」から「是より北 木曽路」の碑を目標にしました。江戸側から京方面に向かうコースです。最終的には中津川まで歩くおよそ90kmの行程です。日程の都合でどこかで電車を一部利用することにしました。
荷物と装備
今回は、スペインの巡礼路のように荷物を送れないので(当たり前ではありますが…)自分が背負えるだけの必要最低限の荷物にして、着替えも最小限に抑えました。相変わらず重い荷物を背負うことができませんが、町から町への移動ですし、地図を見るとJRの線路沿いや国道・県道沿いを歩くこともあるので、行動食やお水も最低限としました。
雨具、着替え1組、夜用の部屋着、洗面用具、手ぬぐい1本、行動食、ティーバッグ5日分、保温ボトル、手袋、帽子、ネックウォーマー、傘、裁縫道具やヘッドライトなどの緊急用具、携帯バッテリー、山道を想定して念のために熊鈴とホイッスル、必要な薬類で荷物は7kg近くになりました。
防寒には風を通さないColumbia Omni Therm のフリースとmont-bellのライトアルパインダウンジャケットを使用しました。また、防寒を兼ねて雨具も持ちましたが、mont-bellのロングテイルトレッキングアンブレラ(152g)も持ちました。
1日目
午前11時。JR中央本線の日出塩駅からスタートです。日出塩駅前にはきれいなユニバーサル仕様のトイレがあります。
「是より南 木曽路」の碑までの約1.5kmは県道から国道19号線を歩きます。道路標識に「是より南 木曽路」と出てきますが、更に20m程行くと、道の右手に石碑があります。ここからが本当のスタートになります。
地図で見ると、木曽路のルートはほぼ国道19号線と木曽川、そしてJR中央本線に沿って西に向かいます。
木曽川に沿って歩くため、多くのダムがあります。最初に出てくるのは片平ダムです。
また、西に向かって歩くと、最初の一里塚は若神子一里塚になります。そしてこの先は19号線から離れて集落の中を進みます。分岐には標柱がありました。
このように、国道19号線と集落の道を往来しながら進み、贄川駅に到達します。駅舎は新しく、宿場風に作られています。駅の外にきれいなトイレがあります。贄川駅を過ぎて贄川宿に入るとすぐに贄川関所がありますが、この日は生憎の休業日でしたので、外から見るだけでした。
宿場を抜けて直ぐ、19号線沿いに贄川の大トチの木があります。周囲は立ち入り禁止になっていましたが、離れてみても立派な大木です。」
この後も19号線を行ったり来たりしながら進みますが、使用している地図は”西(京都)から東(江戸)へ向かって作られているので、「階段で下りる」は「階段を上る」と置き換えて読まなければなりません。
それでも、チェックポイントが多くあるので迷うことはほぼありませんでした。1日目はこの地図に沿って奈良井宿まで歩きました。
前日に降った雪が所々残っています。奈良井宿に着いたのは15時ごろでした。見たいと思っていた専念寺はすでに閉まっていましたが、ここからは奈良井宿の街並みが上から見えます。屋根には雪がまだ残っていて街並みに映えます。予定していた大宝寺、長泉寺もすでに閉まっていました。
12月初旬、紅葉は終わり繁忙期が過ぎていたため、宿の中にはお休みしていたり、閑散期に改修工事を行うなど、予約できる所が限られていました。また、宿だけでなく、茶屋や商店も閉まっているところが目立ちました。
この日は奈良井宿の外れにある峠近くにやっと宿を見つけて予約していました。宿の主は高齢のため週に1組しか泊めていないそうです。この日は、心尽くしのお夕飯をいただき、翌朝もおいしい朝食をいただきました。
2日目
宿から20mの所に鳥居峠への入り口があります。熊除けの鐘が設置されています。念のために鐘を鳴らして山に入ります。石畳の階段を少し上がると山道に入ります。2日前に降った雪がまだ残っているため、ザクザクと踏みしめながら歩きます。山の斜面の方角によって、雪が残っているところ、既に溶けて地面が見えているところがありますが全般的に雪でした。
30分ほどで中の茶屋に着きます。この横にも熊除の鐘が設置されています。ここまで山の中に人の気配は全くありません。宿の主から熊に遭遇した時のお話しを聞いていたため、念のためにホイッスルを用意し、木々が茂っている手前では吹きながら歩きました。標高も徐々に上がっていて、雪も深くなってきました。更に30分ほどで一里塚跡があり、先の橋を渡ると鳥居峠に着きました。標高1197mです。ここまで峠の入り口から約1時間でした。
鳥居峠は雪の中で、新しい足跡は残っていません。この日はまだ誰も通っていないようでした。
ここからの下りは穏やかな道が続きます。途中にトチノキ群があり、トチノキの大木が斜面に並んでいます。見ごたえのある風景です。
峠から15分ほどで御嶽神社の遥拝所に着きました。ここが一番雪が深かったように思います。雪の中に動物の足跡を見つけました。細長い足跡なので、ウサギかと思いますが、はっきりとは分かりませんでした。
1100mあたりまで下ると木々の間から藪原宿が見えます。所々雪が残る街並みが美しかったです。
峠を越えると一般道に出ます。そして飛騨街道追分(分岐点)の標識があります。
藪原宿を抜けると、ほぼ国道19号線沿いを歩きます。吉田洞門でこの旅で唯一、街道歩きをしていると思しき人とすれ違いました。
人々の生活も変化し、住む人には便利になった交通網の発達ですが、19号線の舗道を歩くのは、特にほかの歩く人がいない中、少し切ない気持ちになります。横を流れる木曽川や周囲の山々を見ながら歩いていました。
眼下を流れる木曽川を見ていると、鳥が魚を狩っていました。岩に止まっていた鳥が水中めがけてダイビングをして、しばらく上がってきません。上がってきたと思うと別の岩に止まり、またジッと水面を見ています。そしてまたダイビング。3回目にはくちばしに魚をくわえていました。なかなか見られない光景です。
地図を片手に歩いていると、国道19号線は山吹トンネルに進みます。地図の歩くルートはトンネルの手前で右側に迂回する道を行くはずですが、実際には分かりません。トンネルに舗道があるかは見えませんでしたし、トンネル前で舗道が途絶えているようにも見えたので、そのまま行くのは危険に思えました。何度か行ったり来たりしていると、舗道とは反対側のガードレールに何か表示が見えたので、往来する車が途切れるのを待って渡ってみました。そこには取れかかった「ハイキングコース」の紙が付いていました。その先には道が続いていそうです。トンネルよりは安全と思い進んでみました。左手に川が流れていて地図上の道と一致したので、そのまま進みました。ハイキングコースはその終点で再び19号線に合流しますが、出口はフェンスと扉で閉ざされていて、扉は鎖と錠前で閉められています。幸い、横に出られる隙間があったのでそこから出ましたが、扉の表側には「落石の危険があるので立ち入り禁止」の張り紙がありました。本当は入ってはいけない道のようでした。
19号線から外れて宮ノ越宿に入ります。この宿には本陣跡が残っていて客殿にも上がることができます。お庭もきれいに手入れされています。
ここから先の田園風景は穏やかで、既に収穫された後の田んぼとその先の山々を見ながら歩きます。
宮ノ越宿から福島宿への途中には中山道の中間地点の碑があります。碑の右側には「江戸へ六十七里二十八町」、左側には「京へ六十七里二十八町」とあります。
この碑からすぐの所に道の駅日義木曽駒高原があります。ここでお昼と休憩を予定していましたが、行ってみると、店舗はすべてお休みです。道の駅に定休日があることを初めて知りました。持っていた行動食と温かい紅茶で済ませることにしました。ちなみに店舗は閉まっていましたが、トイレは使用することができました。
中山道中間地点から少し先で、唐突に道が変わります。ここで森に入る?と思うようなところを入っていきますが、「中山道 福島宿へ」の表示が確かにあります。森を抜けると川があります。正沢川を少し心もとない橋で渡りますが、橋には「中山道」の矢印があるのでここで間違いありません。更に住宅地を通り抜けると、地図にある薬師堂と手習神社があります。ここまでくれば福島宿はもうすぐです。
今回の歩き旅は、歩くことが目的で事前のチェックを怠ったためにせっかくの福島関所も定休日でした。そのため、長福寺や代官屋敷を見て回りました。代官屋敷は開いていたので中も拝見することができました。
建物も庭もとても良く保存されていました。代官という立場を通して小説「夜明け前」の時代が良くわかる展示になっていました。
3日目
この日は一部電車で移動し、上松宿で一時下車しましたが、その後大桑まで再度鉄道を利用して、大桑駅から野尻宿、三留野宿と歩きました。
朝、木曽福島駅の近くにあるパン屋さんに立ち寄りました。ここのパンは度々テレビで取り上げられるミルクパンを販売しているお店です。おやつ用にミルクパンを一つ購入してみました。
途中からひと際大きく、美しい山が見えていました。調べてみると、木曽駒ケ岳でした。山頂付近には雪があり、ゼブラ模様ができています。麓のススキの間から見えるこれらの山々はとてもきれいでした。
石碑や常夜灯をたどりながら歩くと野尻宿に入りました。本陣跡や脇本陣跡の碑が立っています。道の付き方が宿場町らしさを醸し出しています。
この日は阿寺渓谷近くの宿泊施設に泊まることに決めていました。大きな橋を二つ渡って木曽川を超えますが、途中から少し雨が降ってきました。この旅で初めての雨です。僅かな雨でしたので、傘をさして歩きました。読書ダムの近くにある宿に着いて暫くすると、雨は上がっていました。
せっかく阿寺渓谷の近くにいたので、歩いて行ってみることにしました。しかし、一つ目の橋を渡って「阿寺渓谷入口」まで来ると、少し下がった所にある川から道路へ猿が駆け上がってきました。足を止めてあたりを見ると、入り口付近には猿の群れが食事をしている最中でした。群れをなした全猿がこちらを見て様子を窺っています。多勢に無勢です。すごすごと退散することにしました。
4日目
朝、木曾川沿いを歩き始めると、正面に木曾駒ケ岳がくっきりと見え、木曽川の水面にその姿が映っています。何とも美しい光景です。調べてみると、木曽駒ケ岳を中心に、木曽前岳、中岳、宝剣岳、三沢岳が連なっていました。寒さも吹き飛ぶ光景でした。
歩き始めて間もなく、19号線を横断して、細い道に入る場所があります。一見分かりにくく、19号線も車の来ない時を見計らって走って渡るところです。住宅街に入っていきますが、地図にある”石造物群・馬頭観音多数”や”二十三夜塔”が出てくるのでルートであることが確認できました。そしてこの先は、地図上では道なりに直進して国道19号線と鉄道の中央本線の線路を熊の沢橋で渡るようになっています。ただ私が通った時には、熊の沢橋は工事のために通行止めになっていましたので仕方なくそのまま線路沿いの道を進み、十二兼駅で駅構内の陸橋を横切ってルートに戻りました。
余川発電所を過ぎるところまでは19号線沿いに歩きますが、途中に分岐があり、県道264号線に入ります。この先が三留野宿です。
三留野宿には脇本陣跡や本陣跡が残っています。
いずれの宿場も度々の火災でその姿を留めているところはほぼありません。三留野宿本陣の建物も明治14年の大火災で焼失してしまい、その後再建されることはなかったそうです。
5日目
妻籠宿から馬籠宿を通り、「是より北 木曽路」の碑を目指します。計画した旅のゴールはここまでですが、最終的には中津川宿まで行く予定です。
8時に妻籠宿をスタートしましたが、まだ人影もほとんどなく、当時の面影を残す町並みがひっそりとありました。
妻籠口留番所之跡や脇本陣奥谷、妻籠宿御本陣(平成に復元)があります。残されている街並みでも格子戸に飾り付けがしてあります。郵便局も街並みに合わせて格子戸作りです。
妻籠宿を過ぎ、山道に入って大妻籠に抜けます。更に山道を進みますが、ほとんどの所は石畳が敷いてあり、歩きやすい道です。
朝でまだ気温が低かったため、シモバシラになりかけの霜柱を見ることができました。山道には庚申塚や石像、滝や川を見ながら緩やかに登っていきます。
暫く登っていくと、煙の臭いがしてきました。人家の気配です。煙の元は一石栃立場茶屋でした。今では無料休憩所になっていて、ボランティアの方が囲炉裏に火をおこして旅人を迎えてくれます。温かいお茶も置いてあります。ありがたく座って休憩をさせてもらいました。別棟にはトイレも完備されています。休憩中に何人かが入ってきましたが、全員外国からの旅行者でした。
一石栃立場茶屋からに馬籠峠(標高790m)まではすぐそこです。ここには、長野県と岐阜県の県境のプレートがありますし、前を通る国道7号線には「岐阜県・中津川市」の標識が立っています。
下っていくと馬籠宿に入ります。馬籠に向かう途中から、ひと際目を引く形の良い山が見えてきました。恵那山です。馬籠に近づくとともに近くに、そしてくっきりとした山容が現れました。
馬籠宿に着いたのは11時半ごろでした。多くの観光客で賑わっていました。
今回、馬籠宿で楽しみにしていたことの一つは、藤村記念館に行くことでした。「是より南 木曽路」を歩きながら、夜明け前の舞台となったであろう場所で、明治維新前後のざわざわとした気配の頃を想像しつつ歩くのはとても楽しい体験でした。
藤村記念館では「夜明け前」の直筆の原稿や、家系図、文庫、祖父母の隠居所があります。この隠居所は「夜明け前」に度々登場する家屋だそうです。どの展示もとても興味をそそられるものでした。
賑わいの馬籠宿をほんの少し抜けただけで、静かな道に戻ります。遠くに見える山々と稲刈りが終わった田んぼの日本の原風景が広がります。道端には道祖伸が祀られています。宿場町も良いですが、こんな風景の中を歩くのはとても気持ちの良いものです。
馬籠宿から30分ほどで「是より北 木曽路」の碑に到着です。今回の旅のゴールです。
この場所には「新茶屋」の暖簾を挙げた民宿があり、また「国境 信濃、美濃」や「一里塚古跡」の石碑があります。人の姿もなく、静かです。東屋でお茶の飲み、ゴールを実感しました。
落合の石畳の道
「是より北 木曽路」でゴールしましたが、この日の宿は中津川宿にあったので、このまま歩き続けました。この後、落合の石畳の道があります。森の中をきれいに敷かれた石畳が通っています。この道は旅人の便を図り、同時に坂道を大雨から守る策として、石畳が敷かれたそうです。今は、昔の姿を留めていた三ケ所を含めて約840mが再現されています。(岐阜の旅ガイドより一部抜粋)
歩き旅を終えて
今回の歩き旅は、最初に記したように、地図読みをしながら歩くことを目的の一つとしました。使用した「ホントに歩く中山道」(風人社)のウォークマップ、10,000/1は詳細に書かれていて、しかも神社仏閣、宿場の本陣跡だけではなく、道標や石碑、観音様やお地蔵様までが掲載されています。そのため、ひとつひとつを確認しながら道を辿って行くことができます。”地図読み”になっていたかどうかは分かりませんが、練習にはなったと思います。
「木曽路はすべて山の中である」の通り、山の合間を縫うように歩いた5日間でした。木曽駒ケ岳や恵那山を見ながら、また鳥居峠や馬籠峠、更には十曲峠を越える山道にはこれまで幾多の人々が通った気配を感じながら歩きました。参勤交代をはじめ、皇女和宮の一行の江戸への通行、明治維新の時には尊王攘夷、王政復古、開国派と様々な思想を持った人々が行き交ったのです。時代のざわめきや人々の足音が聞こえてきそうです。所々に石畳が残りますが、当時は舗装路でもなく、多くの人は草鞋でこの道を歩いたのかと思うと、その苦労が偲ばれます。道中に命を落とした人も多かったのです。そんなあまり遠くない過日を思い浮かべながら歩きました。今では多くの場所でトラックが行き交う国道や県道がとって代わってしまった街道ですが、未だに残る面影に心を寄せて歩くことができたのは幸せな体験であったと思います。
Instagramに木曽路歩きの動画を掲載しています。ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。 Part 1 Part 2